デリヘルとは関係ない!?鳥取コラム 水木しげる
デリヘルと関係なくてすみません。何世代にもわたって愛され続けている漫画「ゲゲゲの鬼太郎」の作者 水木しげるが鳥取県出身というのは、言うまでもなく皆さんご存知ですよね。
水木 しげる先生の本名は武良 茂というんですね。この水木しげるというのはペンネームで、その昔、紙芝居作家時代に経営していたアパート「水木荘」から周りに名付けられたんだとか。
さて、この水木先生ですが、片腕がないのも有名な話ですよね。
太平洋戦争が始まり召集令状を受け取った水木先生は、鳥取歩兵第四〇連隊に入営しました。1943年10月、その後の人生に大きく影響したニューブリテン島ラバウルへ岐阜連隊・歩兵第二二九連隊の補充要員として出征したのが21歳のときでした。このニューギニアでの戦争体験がその後の水木作品に影響を与えました。装備も作戦も優れた連合軍の前に、所属する臨時歩兵第二二九連隊が玉砕しますが、水木先生が所属していた中隊の中隊長の機転で遊撃戦に転じ、そのおかげで生命拾いしたそうです。
その後、水木先生はマラリアを発症し、死線をさまようことになります。さらにこの療養中に敵機の爆撃を受けて左腕に重傷を負ってしまいます。軍医によって麻酔のない状態で左腕切断手術を受けたそうなんです。ですが、脅威の生命力でマラリアも負傷も快復して終戦を迎えます。九死に一生を得て駆逐艦・雪風で日本本土へ復員できたそうです。
その後、片腕を失った事に対して水木先生は以下のように語っているそうです。
「私は片腕がなくても他人の3倍は仕事をしてきた。もし両腕があったら、他人の6倍は働けただろう」「左腕を失ったことを悲しいと思ったことはありますか」と言う問いには「思ったことはない。命を失うより片腕を無くしても生きている方が価値がある」と答えたんだとか。
紙芝居作家、貸本作家を経てようやく40歳をすぎたころ人気作家となります。
この後に『悪魔くん』や『墓場の鬼太郎』(鬼太郎シリーズ)、『河童の三平』など主に妖怪が登場する漫画を発表し、妖怪漫画の第一人者となるんです。水木の作品の影響で、漫画、TV、映画の世界は一大妖怪ブームとなります。また民俗学での専門用語であった「妖怪」が、一般に伝わる経緯ともなりました。また、『少年マガジン』で「大図解」を担当していた大伴昌司も、水木の妖怪画にほれこみ、何度も妖怪についての特集を組んでいるそうです。
初めてまともな原稿料が入るようになりその金額を聞いた水木夫人は思わず「こんなにもらっていいの!?」ともらしたといったそうです。また、アシスタントを多数使えるようになったために、水木漫画おなじみの「点描が非常に多い濃厚な背景」を描けるようになったんだとか。その「絵画的な背景」の前で「漫画的な省略されたキャラクター」が動く組み合わせこそ、水木が発明した非常にユニークな世界観です。
その後は鬼太郎シリーズの5回にわたるテレビアニメ化(『ゲゲゲの鬼太郎』)などで収入も生活も安定し、執筆ペースはさすがに衰えたものの80歳を超えた今もなお健在です。
最近でも、アニメが放映されてますし、アニメ映画、実写映画もコンスタントに発表され妖怪ブームが再燃していますよね。
恐いはずの妖怪が水木先生によって描かれた事により親しみのある存在になったわけで、大人、子供問わずこれからも愛され続けるでしょう。デリヘルを呼びたくなりました?
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